巨星逝く

4月15日の夕刻、後輩から電話が入り潮田前会長がこの13日にお亡くなりに成ったとの連絡をもらいました。思い起こすと、潮田会長を知ることにより30数年仕事に没頭する事が出来たと思います。俗に言われる潮田マジックです。とにかく一兵卒の新入社員でも、わき見もふらず仕事にまっしぐらになれる環境を用意してくれました。

S49年の何月何日頃かは忘れましたが、とある土曜日昼過ぎに潮田社長が凜店され、店長号令のもと1Fのフロア-に全員が集まり社長の講話を聞くと事になりました。社長は背が低いので着くなり木箱を用意させ皆に言葉を述べました。かい摘まんで覚えております。まずは、日頃の労を労いました。そして本題へYKKさんの前を通ってこの場所へ来たが既にシャッターを下げて店は閉まっていた。全国的にそうだ。しかし、我が社は違う同じく全国的に土曜日昼を過ぎても店は開いている。

この差は大きい何時か大差と成ってくる。頑張っていてくれてありがとう。我が社は、必ず松下に追いつき松下を追い抜く。とわずが5分位であったが、話が終わると私に向かって君は何者だど言われ、私は社員ですと答えたのを覚えてます。理由は、腕も組んで講話を聞いていましたので社長は憤慨してた訳です。サッシ屋なのに松下を抜くと言ってたのも記憶に残ってます。私は中途社員でしたがその時、社長は大変に魅力的な人と感じました。この機会がなければその後会社を辞める癖がついてしまったかも知れません。と言いますのはその前の会社の社長には入社式に一度お会いした(同僚は言っているが本人はとんと覚えが無い)限りである。別に、恨みはありませんでしたが、それだけ潮田社長は強烈なイメージでした。

ある場所の赴任時代(今だから言えますが)大変な大赤字エリアでした。当社は三流メーカーでしたからむろんシェアーは低く、安定販売ルートも無く、安く売るしか手立てはなかったのです。全社店長以上が揃い社長講話を聴く機会があり講話が終わると、社長よりある指示がありました。大変苦労して仕事をしており赤字を出しているエリアの諸君がおります。是非、その該当の皆様はお立ちに立って下さい(この時社長は約1000人の前で涙を流しながら)皆様よく見て下さい、この方たちが今大変な苦労をしているんですが赤字なんです。どうぞ、お座り下さい。

終了後、私たちは社長が他メーカーの本拠地での苦労を理解してくれているんだなと思っていました・・・・・後ろから先輩が声をかけてくれました。先輩は言いづらそうでしたが、社長はえらくご立腹だぞ!どこの会社で赤字を褒めてくれる!バカめ とにかく頑張れ頭から赤くなったのを覚えており、同じエリアから来た面々とそそくさと汽車にのり赴任地に帰りました。

それから早期黒字達成の為、皆で知恵を絞り頑張りました。何年かして、上期黒字それから間もなく下期黒字・・通年黒字を達成!振り返ると安定販売ルートも増加・シェアーもUPしており、胸をはる事が出来ました。当時、社長は幹部研修の一環と思いますが店長以上には毎月カセットテープに自らの持論又会社の状況等を録音し送付してきてくれました。その中に、○○がとんでもない事になっている。すごい人がいて業績を急伸させてくれている(声は踊っているのがわかる)もっとも優れた代理店も2社いるからネと釘も刺されましたが!いずれにしても全国に伝達してくれました。

まあ~潮田マジックですが。いずれにしても、当時2000億/年に成ていたトップから数字を見ていてくれた事はうれしかったです。それから何年もして(転勤後)上司から声がかかりました。この部署にいって欲しい。上司としては、断られるとの思いでいた様でした。何故なら、皆断るのです。何故!当時会長の潮田会長に1回/毎週報告する必要があるからです。私は、即受諾しました。何故!1兆円企業のトップから毎週仕事を教えてもらえるそんな事かなり難しいですよ。そして、その部署は大きな赤字を抱えておりましたが潮田会長としては何としても成就しなければいけない事業でした。それは、サッシで成功した会社なのですが、その前に投資した事業だったのです。・・・・・・と長くなってしまいましたので終わります!

在籍中ありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。

注:故潮田様については4月16日?の新聞等をお願いいたします。とくに業界外の方

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